ここでは、ASIOSがおすすめする書籍について、メンバーのレビュー付きで紹介します。レビューのタイトルがAmazonへのリンクになっているので、本の詳細はそちらを参照してください。

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このページでは超常現象に興味を持って間もない人や、懐疑的な情報をほとんど知らない、といった人たちのために、「入門・基礎」となる本を紹介する。

 

トンデモ超常現象99の真相

超常現象に興味を持つ者ならば、基本として知っておきたい懐疑情報がしっかりとおさえられている。もしあなたが、超常現象に興味を持ったばかりの人であるなら、まずは本書から読み始めることをお勧めしたい。

ただし、この本を読んで超常現象の全てを知ったつもりになってしまうのは非常に危険だ。本書で扱われていない超常現象は他にもたくさんあるし、扱っているネタでもページ数の都合ですべての情報が書かれているわけではない。

幸いにも、各項目には参考文献が明示されている。それらを追ってみるか、もしくはここで紹介している本を読んでみるのもいいだろう。

できることなら本書を読んで「終わり」とするのではなく、この本を参考にしつつも、さらに一歩踏み込んで調べていく「始まり」としてほしいと思う。(本城)

 

新・トンデモ超常現象60の真相

新・トンデモ超常現象56の真相』(太田出版)に4項目追加した版。

部分ごとに評価するならば、やはり和製デバンキング本としては最高クラスに位置するといえるだろう。

なかでも加門正一のレポートはどれもやばいくらいに超一級で、岐阜のポルターガイスト、代表的な接近遭遇事件のポプキンズビル事件の調査はあまりに重要。とても埋もれさせておくわけにはいかないほどである。

また、皆神龍太郎による海外のまじめな超心理学者による研究の紹介と、その顛末までを追った報告も、類書の追随を許さない。他にも超能力捜査官についてが秀逸で、クロワゼの水死体事例の調査は海外でも評価されている。

そういうわけで、こういった文献が国内で出版されていくようになれば、日本は超常現象全般の批判的研究の後進国状態から脱却できるのではないだろうか。

56を持っている人は、購入予定本の優先度は下位でよいと思うが、持っていない人には、ぜひお勧めしたい。読み物としても面白い。(若島)

 

カール・セーガン 科学と悪霊を語る

人はなぜエセ科学に騙されるのか 上・下』として単行本化されている。

本書は、理想的な現代懐疑論の到達点であり、疑似科学批判としての懐疑主義という文脈から読むことで、その輝きが倍増することを先に述べておきたい。

セーガンは考える。我々人間は、よほど意識していないと誤謬に絡めとられるようである。少なくとも認知心理学(ギロビッチ)と歴史(マッケイ)は、そのように教えてくれる。だから、ささやかな護身として健全な懐疑精神を持とうではないか。

かといって、疑うことしかできなければ、我々は知的停滞に陥るだろう。我々が知的歩みを止めないための原動力は、不思議なことに驚嘆するこころ―すなわち知的好奇心ではないか。そんな、懐疑精神と知的好奇心の絶妙で難しいバランスを保ちながらも融合させることこそが、我々の求めるべきものではないか。

そして気がついた。人類はその両立困難なものの融合を達成した営みをもっているではないか。それは科学という方法。ならば我々も科学という方法を活かさない手はないだろう?と、セーガンは熱い想いと説得力をもって語ってくれる。

本書には、素晴らしい可能性を持った人類が、素晴らしく在るように、余命を察したセーガンから贈る魂の叫びがある。本書には、人間への愛が溢れている。愚かさへの警句が溢れている。我々は何をなすべきかの問題提起がある。

だから、より多くの人が、この本を読んで考えてみて欲しい。まさに、後世に残すべき不朽の名著である。(若島)

 

トンデモ日本史の真相

『東日流外三郡誌』の念入りな調査を代表に、偽史研究に膨大な時間を費やしてきた著者が、日本を足場とした歴史カテゴリーに入る疑似科学的主張を、たっぷり取りあげ、一件ずつ真相を解説していくといった、とても楽しい良書である。

これまでも(ヨタ話を垂れ流す文献と比較すれば小数ではあるが)偽書や捏造、異端学説、あるいは義経=ジンギスカン説といった個別案件や、『竹内文書』などを批判的に解説する文献は存在してきた。

しかし、なんといっても本書の特色は3つある。

まず「アインシュタインによる、日本は世界の盟主です演説」とか「維新のオールスターが勢揃いしているフルベッキ写真」といった、ここ数年で勢いを得たミーハーなヨタ話を抑えているところ。 次に、「聖徳太子の地球儀」「与那国の海底遺跡」といったオーパーツ関連、日本ヨタ歴史業界の根幹をなす『東日流外三郡誌』『秀真伝』『竹内文書』などのしょうもない偽書、「聖徳太子非実在説」「本能寺の変カトリック陰謀説」といった日本史の奇説、お馴染みの「徐福伝説」など、とにもかくにも日本を足場として怪しく輝いてきた話題を、非常にたくさん取り上げている広さ。

最後に、その全てに「なぜインチキといえるのか」という文脈で、ポイントを解説してくれているという点である。

なかには、史実そのものだとは思わなくとも、真相までは知らないといった「秀吉の墨俣一夜城」など、興味深い話題も扱っており、インチキの暴露という面白さだけでなく、知的好奇心を刺激するエッセンスもふんだんである。

ちなみに個人的に一番興味を持ったのが、たびたび歴史小説に参考文献として名前の出る『武功夜話』が、ほぼ確実に偽書であるということ。思わず、本書で紹介されている「偽書『武功夜話』の研究」をすぐに買ったほどである。

また特に歴史が好きなわけでなくとも、漠然とした知識のバランス調整と補強という役目を果たし、歴史好きは本書の項目を足場に参考文献まで遡って調査するもよしで、2007年現在における最良の「日本偽史情報ガイドブック」となっている。懐疑論者の基礎教養としてもおすすめ。(若島)

 

超常現象をなぜ信じるのか

思い込みや勘違いなど、人が陥りやすい錯誤をとてもわかりやすく解説している。

文章による説明だけでなく、ところどころにある錯視図形や簡単に出来るテストなどでも、「目で見たこと」「記憶」が絶対正確とはいえないことが実感できる。

類書として、同じ著者による『超常現象の心理学』と『予言の心理学』、さらにトーマス・ギロビッチによる『人間この信じやすきもの』もお勧め。(本城)

 

政府ファイルUFO全事件

筆者にとって邦訳三大UFO本とでも呼ぶ良書が存在する。まず筆者の大好物である『UFOと宇宙人 全ドキュメント』、そして早くもUFO史の最重要古典の地位を築いた『人類はなぜUFOと遭遇するのか』、そして本書『政府ファイルUFO全事件』である。

タイトルだけ見るとUFO陰謀論の匂いがぷんぷんするが、全然そんなことはない。主にアメリカの情報公開法以降の機密解除文書を元に、年代ごとのUFOシーンを追っていく構成となっているのだが、これがまたいろいろと太くて面白いのである。

どんな具合かといえば、例としてUFO神話が妄想によってドロドロになる前、1942年~1982年までの4章を見てみると、単にUFO事件の解説だけではなく、機密解除によって判ったこと―たとえばCIAが無関心を装いながらもUFO情報を集めていたり、空軍がなかなか明かさなかったこと―を元に、UFO史の裏側で(外側というべきだったが)、政府側がどのように関わっていたのかなどを解説していたりもする。この、UFO史という流れにおいて、政府がどういった関わり方をしていたかを妄想なしで解説していくあたりが、本書の面白さの一つであろう。

多くのUFO本では低い評価しか受けない「コンドン報告」を、UFO研究史上画期的という、極めて妥当な評価をしていることも注目に値する。そう、悪名高いコンドンレポートであるが、読んでみれば判るように、不満足な点はあっても、非常に貴重で充実した研究であることは認めるべきものである。それを正当に評価するピーター・ブルックスミスは、さすが本場のフォーティアン、一味違うというべきか。

とにもかくにも、UFO現象に興味を持つ者ならば、本書は必読・必携といっても過言ではない。(若島)

 

スタイビング教授の超古代文明謎解き講座

超古代文明に関して懐疑的に謎解きを行っている本。この分野に興味のある者なら基本図書として読んでおきたい。

扱っている内容は、エーリッヒ・フォン・デニケンが主張するオーパーツに始まり、ピラミッド、ノアの箱舟、アトランティス大陸、彗星大接近など。

最終章の「奇説と体制」では、オーパーツ本や超古代文明本に共通する特徴やレトリックも挙げており、大変参考になる。

また、原著が発行された後に出た世界的ベストセラー『神々の指紋』については、監修者の皆神龍太郎氏が本書の最後で検証している。(本城)

 

超常現象大事典―永久保存版

11ジャンル、1177項目、図版110点を扱っている事典。

超常現象を扱っているにしては珍しく、肯定的な情報に偏っていない点が嬉しい。懐疑的な情報も併記されているし、ところどころに書かれているコラムも情報が濃く、とても参考になる。ぜひ手元に置いておきたい一冊。(本城)

 

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「中級編」では、入門・基礎編で紹介した本より、さらに各事例を深く掘り下げている本を紹介する。

 

オカルト探偵ニッケル氏の不思議事件簿

著者のジョー・ニッケルは、現代においてジェイムズ・ランディと並ぶ最高のデバンカーである。その最高のデバンカーが、あまたの超常現象ネタを調査していく話がたくさん出ているのが本書。

私個人が、超常現象の真相追究における方法は「時間無制限の犯罪捜査及び文献調査にある」という解釈を得たのが、何を隠そう本書からであったりする。

取り扱う話題は広く、ダウジングや、都市伝説的な神隠し事例の出所をさかのぼることや、人体自然発火の調査、もういろいろ面白い調査てんこ盛りなのである。

超常現象に興味を持つ人々にとって、知識として蓄えておきたい情報が詰まった良書だといえる。手に入るうちにゲットしておくとよい。(若島)

 

サイキック・マフィア

もう説明不要かもしれないが、19世紀以降の心霊主義・交霊術の裏側を知るための最重要古典にして歴史的名著である。

著者のラマーは元超売れっ子霊媒。そして、愛する人を失った人々を虜にしてきた交霊会の真実を暴露しまくっていく。

インチキ業界に身をおいていたラマーの苦悩。良心を残すものが人間の醜悪な部分に、偽りと共に居座る苦悩というものが、いったいどれほどかを想像すると涙がでるのは私だけだろうか。

とにかく読み物としても超一級の面白さ。心霊主義や霊媒に興味がある、それも特に懐疑論者ならば絶対に読むべきである。

なお、本書は『The Skeptic's Dictionary』における「true-believer syndrome」の出典でもあり、「信じ込み症候群」の出典でもある。(若島)

 

ギボギボ90分!―と学会レポート

タイトルがつまらなそう、というだけの理由で食わず嫌いしていたことを心底悔やむ一冊。

本書における調査は個別のデバンキングとしてみれば、ジョー・ニッケルの最上の仕事と何ら遜色ないほど高レベルなものであり、つくづく「好きでやってる」ということのパワーを感じさせてくれる濃度である。

そこから描き出される真実の宜保愛子像は、「霊能力のあるオバサン」などというものではなく、まさに才媛・宜保愛子である。私は死後生存を信じていないが、それでもなお、天国の宜保愛子は、本書によって描き出された真実の宜保愛子、教養と知性あふれる宜保愛子像に、安心しているだろうと想う。なぜなら誰も伝えてくれなかったのだから。

そういうわけであるが、本書は読み物としても、かなり面白い。「なぜ今さら宜保愛子なのか?」という疑問が消し飛ぶほどである。それは霊能者の裏側を知るという意味でもオススメできる内容であり、多くの人に読んで欲しい。タイトルがどうも好かないけど。(若島)

 

トリックの教科書

92年に刊行された『どこが超能力やねん』の改題新装版。90年代前半に放送された超能力番組の映像を実際に紹介しながら、出演した中国の気功師や、旧ソ連の自称超能力者などのトリック暴露を丁寧に行っている。(本城)

 

超能力・トリック・手品

ファラデーがタイムズ紙に寄稿した、ウィジャボードの実験の論文の全訳だけでも買いであるが、なんといっても私は最初の板倉氏による「手品・超能力と科学の歴史」と、高木氏による「心霊現象のトリックについて」が凄く面白かった。

クレバ-ハンス錯誤の事例を詳細に書いた「動物の超能力事件と認識論」も秀逸だ。読み手の趣味や興味によって面白さが変動するかもしれないが、私にとっては脳汁垂れまくり。

今昔物語から秀吉、江戸から明治にインドまで。江戸川乱歩がデバンカーとして交霊界に呼ばれた話や、日本のスプーン曲げブーム、なんとなんと話題が豊富で楽しい楽しい。

特にお勧めの最初の2章(板倉、高木)は、読後にそのまま再読してしまったほど興味深く面白かった。深みはそこまでではないが、懐疑論者用の読み物としてかなりお勧めしたい。本当に隠れた名著。(若島)

 

ミステリーサークル黙示録

ミステリーサークル(本場ではクロップサークル)最良のドキュメント。何を隠そう著者はミステリーサークル熱の渦中から、裏側に行き真実を知る者である。著者はサークルビジョンという会社まで創ってしまい20世紀最大の発見!になるはずだったサークルを追いかけ、その熱狂が最大になったところで真実を知り、すべてが、すべてがイタズラだったことを知る。

最初は超自然現象として興味を持ち、ダグとデイブ、そして2代目サークル職人ジム・シュナーベル(ミステリーサークル作成大会準優勝者)との出会い、そして裏側に回ってからの楽しい楽しい記録。そんな愉快で楽しいミステリーサークルの真実が、ギュウギュウに詰まった貴重で楽しい一冊だ。

本書を読まずしてミステリーサークルを語るのは論外であるし、読み終えれば貴方はサークルの素敵な真実を知ることができるだろう。「なんてこったい!」と。

とにかく抜群に面白いぞ!(若島)

 

UFOと宇宙人 全ドキュメント

1997年は、近代UFO神話の生誕50周年記念であった。半世紀という区切りのよさもあってか、欧米では、UFO関連の良書が何冊も出版されている。そして嬉しいことに、この時期の優良UFO本のいくつかは邦訳され、我々も気軽に手にすることができるようになったのだ。

それも、お定まりの、ロズウェル事件、アブダクション、コンタクティー、チャネリング、といったヨタ話を真に受けるような連中ではなく、真面目で批判精神旺盛な欧米のUFO研究家によって書かれた良書までもが、である。

本書は、これらの邦訳UFO本の中でも、とりわけ多彩さと面白さにおいて突出した一冊なのだ。

まずはプロローグとして、デニス・ステーシーによる「世界をゆるがせた8つの重大UFO事件」から始まるが、このしょっぱなの8大事件のチョイスからして良い。

UFO神話に重大な影響を与えた、という観点のみから選ばれており、まさに混沌としたUFO50年を振り返る仕上がりになっている。この玉石混交っぷりが(石石混交ともいう)、いかにもUFO臭を漂わせていて、実に楽しい。

この秀逸なプロローグにはじまり、本編では年代ごとのUFO関連ネタが10年区切りで続いていくのだが、これがまた風変わりなラインナップである。

年代で区切りつつも、有名な事件の解説といった縛りがあるわけではなく「その年代のUFOネタなら、面白かったり、興味深かったり、資料価値が高かったり、読む価値あればなんでもOK」という基準で選ばれたとしか思えないような構成である。その結果として、どいつもこいつも面白い。

最初にくる1940年代であれば、マンテル事件ではなく「北欧のゴーストロケット」だったりするし、かと思えばケネス・アーノルドによる「アメリカ空軍への目撃報告」が、そのまま掲載されている。

これは1947年に、ケネス・アーノルドが実際に空軍に送った、報告と質問の書簡そのままであり、資料価値が高い。こういった貴重な情報が散発的に埋め込まれていることもまた、本書の魅力の一つといってよいだろう。

しかし、なんといっても最大の魅力は、いろいろな国のUFO研究者が寄稿している、そのユニークさと、しかも、そのいずれもが退屈させないという点である。

ちなみに、筆者が一番好きな話は、ウクライナの科学者ウラジミール・ルブツォフによる「旧ソ連科学者のUFO調査報告」である。この報告は、他国からのUFO情報が手に入らない旧ソ連において、それでも仲間達と連携を取り、地道な調査を続け、それなりに身のある調査をものにしたという、ちょっとした感動のUFO物語である。

UFO本を国内に持ち込めないといった環境が、逆に一般人のUFO本汚染を防ぎ、意外にも良質な目撃報告が得やすかったという興味深い小話なんかも出ていてニンマリできる。(アメリカではとても望めない環境だろう。)

と、これだけでも十分に堪能できるわけなのだが、なんと、本書の面白エキスはまだまだあるのだからたまらない。

実績豊富な懐疑論者ビム・バン・ユトレヒトによる「ベルギーの三角UFO」の真相調査は、これまた非常に秀逸で、懐疑主義的な楽しみまでもが用意されている。

そして最後、ヒラリー・エバンズによる素敵なエピローグの手前には、イギリスUFO業界の重鎮ジェニー・ランドルズによる「UFO調査6つの基本ルール すべてのUFO研究家に贈る若干の胸にこたえる真実」が用意されている。

このような具合で、本当に一冊の本としては驚くほどの量と質を誇るUFO本なのである。UFOといえば異星人、という認識しか持たない自称UFOファンを除く、全てのUFOファン(少数派かもしれないが)にお勧めしたい良書である。(若島)

 

なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか

「アブダクション」(宇宙人による誘拐)をテーマにした良書。

偽記憶の研究をしていた心理学者である著者スーザン・クランシーが、「いったいどんないきさつでエイリアンの研究をすることになったのか?」を説明する第1章に始まり、第2章「なぜエイリアンに誘拐されたと信じるのか?」、第3章「もし起きていないなら、なぜ記憶があるのか?」、第4章「アブダクションの話は、なぜこれほど一致しているのか?」、第5章「どんな人が誘拐されるのか?」、第6章「もし起きていないなら、なぜ起きたと信じたがるのか?」と、各章それぞれの問いに、わかりやすく答えるかたちで本書は構成されている。

内容は、多くのアブダクティー(宇宙人に誘拐されたと称する人)と実際に会って研究してきた著者が書いているだけあって、貴重な研究データもきちんと提示され、説得力もある。

これまで日本では、一冊まるまるアブダクションをテーマにした本で、懐疑的なスタンスに立って書かれたものはなかったことを考えると、その情報の偏りを正す意味でも貴重な本といえる。(本城)

 

クリティカルシンキング 不思議現象篇

クリティカル・シンキングの考え方が、十分深く、そして体系的にまとまっている。超常現象に興味のある懐疑論者ならば、面白く読めるだろう。

哲学的な話に全く興味をもてない場合は、ちょっと回りくどい話が多く感じるかもしれないが、それは本書の問題ではなく、クリティカル・シンキングの持つ本質的な面倒さなのだと思う。

自身の懐疑論に不明確な点があったとき、この本を読み返すと、頭がすっきりするかもしれない。(蒲田)

 

ウマはなぜ「計算」できたのか

「りこうなハンス」については、ご存知の方も多いだろう。20世紀初頭のドイツで、計算能力を持っていると評判になったウマである。計算問題を出すと、その答の数だけ前足で地面を叩いて答える。単純な加減乗除ばかりか、分数や小数点の概念をも理解し、やはり地面を叩く数で文章を綴ることさえできた。

この謎を解いたのが、医学博士で心理学者のオスカル・プフングストである。そのエピソードは多くの本に引用されているが、まさかプフングスト自身の著書が100年も経ってから日本に訳されるとは思わなかった。

読んでみて感心したのは、ハンスの能力を調査する彼の手法が、実に論理的かつ緻密であったこと。

まず、誰かがハンスに手がかりを与えているのではないかという仮説の元に、質問者や実験に同席した人間が誰も正解を知らない問題と、同じ問題で正解を知っている人間がいる場合とで、正解率を比較した(対照実験である)。その結果、前者での正解率は偶然で説明できるレベルだったが、後者ではかなりの高率で正解した。

次に、何が手がかりとなっているのかを検証していった。すると、正解を知っている人間がハンスの視野の中にいる場合のみ、ハンスの的中率が上がることが分かった。

プフングストは観察を重ね、人間のわずかな頭の動きがポイントであることを発見する。ハンスが床を叩いている間、人はハンスの足元に注目するため、わずかに頭部が前傾する。ハンスが正解の数を叩いた瞬間、頭部がわずかに上がる。それをハンスは「やめろ」という合図だと学習していたのだ。

……と、ここまでは多くの本に書いてあることだが、プフングストはさらに研究を進めていたのである。

たとえば、質問者の頭部に、頭の傾きや回転運動を増幅して記録する装置を装着し、ハンスが床を叩いた瞬間を記録したグラフと比較する。電子機器なんかない時代に、こんな実験ができたというのは驚きだ。

また、頭部の前傾角度を意図的に変化させたり、同席する人間の人数、ハンスへの質問のしかたなど、実験条件を様々に変化させ、それによってハンスの成績がどう変わるかを調べた。

さらにプフングストは、人間を対象にして実験を行なう。自分がハンスの役になり、被験者に「右」「左」のどちらかを思い浮かべてもらう。そして、「私はこれから、あなたがどちらの観念を抱いているのかを推測してみるつもりなのだが、その結果を言葉では表現しない、その代わりに、『右』だと思えば、腕を下へ向け、『左』なら腕を上に動かして示す」と説明した。

最初の数回はまぐれでしか当たらない。だが、まもなく被験者は、「右」を考えた時に目が下を、「左」を考えた時に上を向くようになる。対面しているプフングストの腕に注目してしまうためだが、この動きは本人も自覚していない。その結果、プフングストはある実験では、40回中32回も、被験者が選んだのが右か左かを正確に推測することができたのである!

現代でも透視能力者とかダウザーとか呼ばれる人が、本人が隠していることを正確に言い当てることがあるが、その何割かは、こうした「りこうなハンス効果」を利用しているのかもしれない。

面白いのは、当時、ハンスをめぐって様々な説が乱れ飛んでいたこと。たとえば、ハンスがごく単純な問題を間違えると、「機嫌が悪かったのだ」とか「故意のウィットだ」と解釈する者がいた。(現代でも、超能力の信奉者は、よくそういう言い方をする)

一方、ハンスの計算能力を否定する者たちもまた、見当はずれの仮説をばらまいていた。飼い主のフォン・オステンが故意にサインを発していると考えている者が大勢いた。ある者はフォン・オステンのかぶっているベレー帽を怪しみ、ある者はハンスが鋭敏な聴力で合図を聞き取っていると説明し、ある者は地面に埋められた電線を通じてハンスに電気刺激が送られていると主張していた。

中には、「飼い主の脳から放射される思考波を受信している」と結論する自然哲学者もいた。人間の出す磁気の作用だとか、N線だとか、催眠だとか、暗示だとかいう説(まったく説明になっていない)もあった。

僕は何度も口をすっぱくして言っているのだが、懐疑論と否定論は違うのだ。mixiでも、「懐疑論者」を自称しながら、根拠のない否定論を書きこむ人がいる。陰謀論と懐疑論の区別のつかない人もいる。

超能力者のパフォーマンスを見て、ろくに検証もせずに「TV局のスタッフがグルに違いない」と決めつけるのは、裏づけがない限り、単なる陰謀論にすぎない。根拠もなしに自分の印象だけで結論に飛びつくという点では、「WTCは仕掛けられた爆弾で倒壊した」という説と、何ら変わらないのである。

本当の懐疑論者とは、プフングストのような人を言うのだ。(山本)

 

目撃者の証言

目撃証言の信頼性に疑義を投げる心理学の知見(たとえば記憶の性質や誘導尋問への弱さなど)は、事実上、本書の著者ロフタスによって切り開かれた分野といっても過言ではない。

著者は、後に記憶回復運動や、ホロコースト修正論のちょっとした弁護、偽記憶の問題へ投げ出され、この分野で活躍していくことになるのだが、その原点が本書なのである。

科学の一つの道を切り開いた、まさにその瞬間を堪能できる一冊という意味で、またその価値も殆ど色あせていないという意味で、本書は大変に素晴らしい。

というか、そんな褒めたりしなくとも、何がイイかというと、これは本としても面白いのだ。知的好奇心を刺激する。本書は非常に良い本なので、私は復刊運動にエントリーしていたが、いつのまにか普通に復刊されていたようで、手に入り易くなったのもの嬉しい限り。

2007年現在で最重要文献とは言わないが、やはり抑えておきたい一冊だ。(若島)

 

人類の月面着陸はあったんだ論―と学会レポート

いまだにしぶとく繰り返される「アポロ月着陸捏造説」。すでに捏造派が唱えるお約束の主張は、これまで何度も論破されてきたのだが、それを知らない人たちは今でもこの与太話には説得力があると勘違いしている。

本書では、この使い古された与太話は昔からあるネタであることや、捏造派の主張や疑問は過去何度も論破されていることなどが、わかりやすく解説されている。

日本語で読める本で、一冊まるまるこのネタの検証に費やしている本というのは本書のみ。その意味でも貴重なので、ぜひとも一読をオススメしたい。(本城)

 

陰謀論の罠

オタクパワーはすごい!

本書を読むとそれが実感できる。「最強のオタク」を自認する著者は、大量の資料を読みあさり、「9.11テロは米政府の自作自演だ」という陰謀説を、徹底的に叩き潰してみせる。

著者は陰謀論者を、陰謀論を創作する「陰謀論メーカー」と、それを無批判に信じこんで流布する「陰謀論プロモーター」に大別する。日本には陰謀論プロモーターばかりで、陰謀論メーカーはいないという。

陰謀論メーカーたちの汚いやりくちは、この本の中で詳細に暴露されている。

「爆弾のような音がした」という消防士の証言を、「爆弾が爆発した」とねじ曲げて引用する。

「アメリカン航空機が来るのが見えた」という記者の証言をカットし、彼が巡航ミサイルを見たことにしてしまう。

WTCの倒壊とビルの爆破解体の映像を比較してみせるが、爆破解体にどれほど大量の爆薬と人員と準備期間が必要かは説明しない。

乗客の遺体や遺品の断片、飛行機の残骸が、現場から多数発見されているのに、「見つかっていない」と嘘をつく。

破壊されたペンタゴンの写真をトリミングし、状況に矛盾があるように見せかける。

乗客は機内電話で家族に電話をかけてきたのに、携帯電話からの通話だったことにして、「飛行機から携帯電話がつながるはずがない」と主張する……。

当然、こうした「証拠」を捏造する陰謀論メーカー自身は、陰謀の存在を信じているわけではあるまい。彼らは米政府を誹謗中傷するために、故意にデマをまきちらしているのだ。

著者はこうした9.11陰謀説のソースのひとつが、ホロコースト否定論者の出版物やホームページであることを指摘する。イスラエルを憎む反ユダヤ主義者にとって、あのテロで世論が反アラブに流れたことが我慢ならず、「米政府の自作自演」という説をひねり出したというのだ。

確かに、荒唐無稽で証拠のない「米政府の陰謀」より、「反ユダヤ主義者の陰謀」のほうが、おおいにありそうである。

では、その陰謀にまんまと乗せられた日本の陰謀論プロモーターたちはどうなのか。彼らはペテン師に騙されただけの被害者なのか。

冒頭で著者は、ベンジャミン・フルフォード、成澤宗男、きくちゆみら、日本の陰謀論プロモーターたちに質問する。その結果、明らかになったのは、彼ら全員が、公式報告書をまともに読んでいないという驚きの事実だった。

彼ら3人は、著書やネット、講演活動などを通じて、9.11陰謀論を広く世間に吹聴してきた人物である。その彼らは、陰謀論メーカーのビデオや出版物を、まったく検証しようとせず、鵜呑みにしていただけだったのである。

自らの怠慢と無責任によって社会に妄説を広めたという意味では、彼ら陰謀論プロモーターにも罪はあると言えるだろう。

本の後半は、コベントリー爆撃、真珠湾陰謀説、トンキン湾事件について触れている。特に真珠湾=ルーズベルト陰謀説を唱えるスティネットの『真珠湾の真実』は、日本でも影響力が大きく、鵜呑みにしてしまった人が大勢いる。困った話である。

興味がおありの方は、スティネットを論破した秦郁彦編『検証・真珠湾の謎と真実』(PHP研究所)をご一読いただきたい。どんなデタラメな説も、無知な人間には真実味があるように見えてしまうものである。

本書は、まだ9.11陰謀論に接していない人々にとっては、絶好のワクチンとなるだろう。

反面、すでに陰謀論にハマってしまった人には、あまり効果はないと思われる。彼らはこの本を読みもしないか、もしくは、読んでも懸命に否定しようとするだろう。実際、ネット上での感想を見ると、具体的に反論せずに感情的に拒絶しているものが目立つ。

彼らは理屈では著者に反論できないから、感情的に反応するしかないのである。

人はみな、自分が賢いと信じたい。だから、「重大事件の裏に隠された真実を暴く」と称する陰謀説に惹かれる。多くの人が知らないことを知っているという思い上がりは、自分が大多数の人間より賢いという錯覚を抱かせる。実に魅惑的な罠である。

だが、真実はというと、9.11陰謀説なるものは悪質な政治的プロパガンダにすぎず、あまりにも荒唐無稽、牽強付会、科学的にも論理的にもデタラメである。それにひっかかるのは、賢さどころか、愚かな証拠だ。

自分が騙されやすいオバカさんであったことを認めるのは恥ずかしいものである。だが、認めよう、信者たちよ。

騙されていたことを認めず、誤った信念にしがみついていては、いつまで経っても賢くはなれない。(山本)

 

ダ・ヴィンチ・コード最終解読

小説とは嘘である。

小説家が「これは本当にあったことです」と言うのは、奇術師が「タネも仕掛けもありません」と言うのと、本質的に変わらない。観客(読者)を楽しませるためなら、どんなトリックでも使うのが奇術師(小説家)である。

その昔、半村良氏は『産霊山秘録』を『SFマガジン』に連載した際、まえがきにまで嘘を盛りこみ、『神統拾遺』という書物が実在すると読者に思わせた。僕も見事にひっかかった(笑)。でも、そのことで半村氏を恨みはしなかった。むしろ「見事に騙された!」という快感を覚えた。

ダン・ブラウンも同じである。最初に『天使と悪魔』を読んで、なんと面白い嘘をつく作家かと感心した。『ダ・ヴィンチ・コード』にしても、「おいおい、これ、どこまでほんとなの?」とにやにやしながら、作者の論理展開のうまさに舌を巻いた。

僕だけではない。娯楽小説を読み慣れた者なら誰でも、小説を嘘として楽しむことを知っているはずである。

ダ・ヴィンチ・コード』の不幸はあまりにも売れすぎたことではないだろうか。普段、小説をあまり読まない者、小説をフィクションとして楽しむというスキルに欠ける者までが読むようになった。

そのため、「奇術師が『タネも仕掛けもありません』と言ったのだから、あれは本当の魔法に違いない」と思いこむ者や、「『タネも仕掛けもありません』と言っておきながらトリックを使って人を騙すなんてけしからん!」と怒り出す者が現われた。

本書は『ダ・ヴィンチ・コード』のトリックを暴露する本である。「シオン修道会」「ダ・ヴィンチの暗号」の真相は、実にしょぼい代物だ。しかし、トリックというのはそういうものなのである。たいていのマジックは、タネを知ってしまえば「なあんだ」とがっかりするものだ。

だからと言って、トリックで観客を騙す奇術師の行為を、非難したり蔑んだりすべきではない。著者の皆神氏もあとがきでその点を注意している。「小説としての『ダ・ヴィンチ・コード』は実に面白い」と。

ダ・ヴィンチ・コード』に騙されたみなさんも、ブラウンを恨むのではなく、この機会に騙される楽しみというものに開眼していただきたいと願う。(山本)

 

古代文明の謎はどこまで解けたか(1)(2)(3)』

ガチガチの超古代文明ビリーバー以外なら楽しめる、超上質の最新の古代文明研究紹介本。超古代文明モノが「本当に」好きな人には特にお勧めできる名著である。 (宇宙考古学を頭から信奉している人は、例外なくオーパーツなどについて不勉強であるから、本当の超古代文明好きとは評価しない)

たわごとの切り捨て方は懐疑論者級である一方、異端学説への敬意と愛情はカールセーガン以上!そんな考古学への愛は最高にステキ。邦訳は3巻まであるが、いずれも考古学業界の新情報満載で、わくわくわくわくわくしながら読ませるのだからたまらない。なんというロマンに満ちた世界であろうか。デニケンやハンコックの陳腐さが7.85倍(当社比)は強調されてしまう本物の味わいがある。

保守性がやや強い考古学において、黒は捨てるが灰色は白くするよう努力してみる、といった実に楽しいスタンスである。与太話ではない真の科学的な異端学説がどれほどワクワクするものか!とにかく素晴らしい。(若島)

 

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「上級編」では、より専門的(マニア)な情報を扱っている本や、これまでと違い、懐疑的なスタンスには必ずしも立っていない本も紹介している。

これは、超常現象を調べるうえで、懐疑的な情報のみでは見えてこない視点があることや、超常現象にまつわる話の奥深さ、面白さを知ってもらいたい、という考えから紹介したものである。

 

幽霊を捕まえようとした科学者たち

いくつか注意は必要だと思うが、少なくともこの領域の科学的研究の歴史に興味がある懐疑論者ならば、語られる現象そのものを評価する意味ではなく、この領域において、かつてどういう立場で、誰がどのように何をしたのか、基礎知識を得るために推奨したい。

心霊主義の歴史を振り返るとき、懐疑主義の文脈では、往々にして、フォックス姉妹に始まり、ウォレスやクルックス、コナン・ドイルといった連中の、超常現象領域に限っての無能ぶりから、マジシャンの話につながる流れが一般的である。

そのため、ビリーバーからは懐疑主義と罵られ、科学者からはビリーバーと罵られてきた、いかにもイギリス的な雰囲気たっぷりのSPR(イギリス心霊研究協会)についての情報が、あまりにも無視されてきた。

私は現在31歳で、世代的に、その手の文献が少ないだけかもしれないが、いろいろな文献にあたっていく過程で、当時のSPRを中心として解説していて、かつ孫引きと伝聞と憶測が少ない本が読みたいと想っていた。

しかし、少なくとも容易に手に入り、私の知りたいことをカバーしているような文献はなかった。それほど熱心に探したわけでもないとはいえ・・・。

で、そんな私の興味を、かなりがっちりと充足してくれたのが、本書なのである。

いや、これは本当に面白い。というか、知りたかった情報が出ていて嬉しい。個人的には、かねてより疑問だった、いかさま現行犯の常連であるパラディーノが、なぜか例外的に評価されていたのか、その根拠、当時の様子や空気を、きっちりと知りたいと思っていたが、とりあえず理解することができた。また、パイパー夫人などの伝説的な事例も詳しい情報が手に入り満足した。

SPRが、どうしようもない懐疑派団体になってしまった、という不評の時代、ホジソンやシジフィック婦人は、まさに懐疑論者である。

ちなみに、本書の著者は、執筆前は実際上の否定論者だったけれど、当時の書簡などの資料を漁り、歴史を再構築していった結果、随分と謙虚になって、中立よりの懐疑派くらいになった、という告白をしている。

そのことを批判する人もいるが、実際にSPRが何をしてきたのかを知れば、心霊現象を信奉する必要はないにせよ、少なくとも、独断的な強い否定論の正統性はゆらぐべきであろう。

もちろん、核となる死後生存や通信となると、否定の立場で問題ないと思うが、あまり舐め過ぎてはよくないしもったいない。私は、いくつかの事例は、本当に本当の真相を知りたいと強く思う。それが退屈な結論であってもだ。

ともあれ、ビリーバー陣営が弾薬として科学批判のために利用するのは止めて欲しいところだ。なぜなら本書がカバーするSPRは、健全な科学的研究のフロンティア候補として、この道を切り開こうとしたのだから。

結局、フロンティアを求め、たどりついた先は、砂漠と、たぶん蜃気楼であったけれど。

ともあれ、懐疑論者がバランスをとり、基礎知識のために読むのが最適であろう。本当に面白い。 (若島)

 

神は妄想である―宗教との決別

誤解を恐れずに主張しよう。本書は、知的倫理観に関する比類なき啓蒙書であり、記念碑的な名著である。

少なくとも、リチャード・ドーキンスは、本書によって私のヒーローになった。それも、カール・セーガンが最期の著作で私のヒーローになったのと同じレベルで、である。

無神論者の群れは猫の群れであり、絶対数は負けていないのに狂信的な宗教団体は組織力によって非合理を貫く。そこの隠れ無神論者のキミ、勇気を出して、無神論者と名乗ろうぜ!

ドーキンスが批判している「神」は、安直な人格神だけではなく、物理学者なども、事実上の比喩でつかう「神」も含んでいる。

科学によって自然の神秘が解かれるたびに、ひとまずその外側を「神」の避難所として与える、隙間神学の「神」についての批判は痛烈である。

ドーキンスの主張は、「神」という設定は、あきらかに一つの仮説であり、無批判に認識論上の安全地帯が許される理由はない、というものであり、私は心の底から賛同する。

ドーキンスの魂の叫びは、無神論者であることが、悪徳のように思われ、社会的に不利になる状況はおかしいいではないか、誇りをもって、無神論を掲げる社会を目指そうではないか!という宣言である。

ドーキンスの願いは、判断力のない子供に、その家に生まれたという理由だけで、特定の宗派に所属させることはやめようという想いである。本当にカトリックが、アラーが、スパッゲティモンスターが、最良ならば、成人してから選ばせるのがすじであろう、と。

不幸にも、海外では(どころか日本でも)論争的な面ばかりが強調され、書評の中には、本当にきちんと読んだのか怪しいくらい、的外れなものが散見され、それは非常にもったいないことだと思う。

信仰に対して、社会が過剰な特権を与えている事実に、もっと注意を払っては、なぜいけないのだろう?

そこに無神論という信念よりも、信仰の待遇を良くする正当性などあるのか?ないでしょう。 そんな、なんとなく皆が腫れもの扱いしてスルーしてきた歴史ある疑問を、臆せずに語っており、その意義もかなり大きいだろう。

私は、以前、外資系の企業で働いていたが、宗教的理由とさえ認定されれば、ドレスコードを無視してアゴ鬚を伸ばすことすらありだった。しかし「無神論者として、ぜひアゴ鬚を伸ばしたいんです」とか、FSM(スパモン)なので黒い眼帯をしたいのですが、などと主張してみても、たぶん却下されるだろう。

とにかく信仰の甘やかされぶりは酷くて、ドーキンスが紹介する事例には、同性愛者を罵倒する文言のTシャツを着て、学校に通う権利さえ、信仰だからとして許可されてしまったという、怪談の156.4倍は怖い話が出ている。

ただし、本書を読んでいて最も面白く、秀逸だと思った議論は、過ちと愚かさに異論の余地がないような、宗教テロや創造科学といった、誰でも同意している実害に関する批判ではなく、もっと微妙な問題について、ドーキンスがじっくりと論じている部分である。

私が思うに、本書はそこにこそ深みがある。

具体的にいうと、たとえば、科学は「どのように」を扱い、宗教は「なぜ」を扱う、といったタイプの住み分け論が、無批判に流通しているが、まず、科学が「どのように」を扱うというのは納得できるが、はたして宗教に「なぜ」を論じる特別な能力があるのか?なかろう、という話などである。私には、この主張は誠に正しく思える。

他には、有神論の批判をするとき、即座に理神論的、スピノザ的な神概念を持ち出して弁護し、あたかも無神論者が「白い鬚を生やした人格神」の否定論をぶつ、ピントのずれた愚か者かのように認識される事態にも苦情を述べ、その「お約束」に、批判的な検討を加えているところなども興味深い。

神が道徳と倫理の起源であるかのように展開される議論が、いかにグロテスクであるか、また、実は誰もそんなことを信じていないという論証は、見事である。

そういうわけで、本書は、ただの有神論批判やタブーへの挑戦として、論争の部分だけを焦点に読むことは、本当にもったいない。なぜなら、客観的かつ冷静に読めば、知的好奇心を充足する話題が多く、事実に誠実であることがどうことかを実感できる、古今比類なき名著なのだから。(若島)

 

ボーダーランド

およそ超自然現象に興味を持つ者全てに贈る、奇現象探求への招待状。それが本書である。

奇現象、UMA、接近遭遇、コティングリーの妖精写真、フィラデルフィア実験、わけわからん空中落下物、人体自然発火、前世回帰、狼に育てられた少女、聖痕、ミステリーサークル・・・etc

こういった領域に光をあてながら、個別に真偽のみを探るだけではなく、奇現象として抽出し、総合的に分析する。そして「ハイストレンジネス」という、一見おバカ度炸裂な事例の真面目に取り扱う概念を世界に発信した重要な文献でもある。

安直な否定論が通じない調査力(「でっち上げ」という章すら用意してある!)いっぽうで安直な肯定論はもっと通じない知的ストイックさ。日本ではまずお目にかかれない、知的好奇心と健全な懐疑精神が融合した、上質なフォーティアンの実力を堪能できる貴重な文献である。

初心者にとっては判りやすい入門書となり―門の先は危険だが―好奇心をそそらた者は、きっとこの楽しさに魅せられるだろう。そしてある程度、こういった分野に知識を持つ者であれば、随所の短い記述から、著者の調査能力にうならされることだろう。スケプティカル・フォーティアンへの旅路は、この本が最良の出発点になるはずだ。とにかく名著である。(若島)

 

プロフェシー

くぅうううたまらん!ETH(UFOは宇宙人の乗り物だとする説)を信奉していない、かつUFO・奇現象系―それもハイストレンジネス(とても奇妙なこと)―大好き!という、著しく少ない読者層へ贈る、素晴らしく素晴らしく面白い自称ドキュメント。

しかし、本書に関して(というかキールに関していえば)自称度がどの程度かはどうでもいいと思う。そう思えるほどべらぼうに面白いんだ。

6000人が目撃!とか帯に書いてあるが、そんなものはオマケもオマケ。どうでもいい。そもそも主題であるはずのモスマンすらオマケだろう。

なんというかキールが語る各事例のシュールさ、意味不明さ、そして一般受けする超常現象の報告と信頼性では変らないのに、無視されてきたようなヘンテコ事例がてんこ盛り。カハー。

それにしても、つくづく思った。これらのケースにおいて、人々が自分の体験について口を閉ざしてしまう理由はあまりに明白だ、と。ハイストレンジネスに馴染みがないと、あまりにバカ過ぎて、信憑性がないように感じる体験ばかりだからだ。

キールはそういったバカ臭い事例も集めるナイスガイで、有能な人間だと私は思うが、なんのかのと、全てを真に受けてしまい、全体としてはちょっとやばい領域に行ってしまったようにも感じる。しかし、いずれにせよ本書は大変に面白いので、奇現象が好きな御仁には超お勧めできる一冊だ。

というかこの面白さが判る人はいっぱいいるはずなのだ!とにかく読んで、奇現象の面白さを知って欲しい!(若島)

 

世界の謎と不思議百科

怪奇現象博物館―フェノメナ』と『ボーダーランド』の中間におくとピッタリ。そんな感じ。

さて、本書には特に注目すべき項目がある。

1938年、オーソン・ウェルズがつくったラジオドラマ「宇宙戦争」で、アメリカで大パニックになった、という有名な話。これ、実際にはパニックなんてなかったということを小耳に挟んだことがある方はおられるかもしれない。

そう、私も読んで気がついたが、「パニック」が本当にあったのかを、徹底的に追求し、実際に当時のラジオ放送がどうか?(←意外なほど見落とされている論点)はもとより、地元の警察記録、当時の証人、交通機関、もう徹底的に調べて、「パニックはなかった」ということを強力に実証したのが、このスペンサー夫妻なのである。

その解説が出ているので、この章だけでも「買い」であろう。

他にも、メアリーセレスト号についても面白い。救命ボートがなくなっていたことは常識くらいに書いているし、ありきたりな謎事件としては扱わない。伝説の歪曲の歴史も(コナン・ドイルの役割も)触れている。そのうえで、この事件の真相は永久に判らないが、と踏まえたうえで、仮説を述べていたりするが、それがあの。。おっと、止めておく。

また、ジャック・ヴァレやヒラリー・エバンズからの情報が頻出するだけでも読む価値があると思う。

そして、超常現象の研究にも関わらず、最後の章が「健全な懐疑主義の意義」ときており、その精神が口だけではないあたりが、面白さに深みを与えている。

とりあえず、扱う話題の量から「不思議百科」というのはちょっと違うが、とにかくどの章もかなり面白いし、少なくとも、私は知らなかった情報がいろいろあったので、この分野に興味を持つ者は、ぜひ読んで欲しい。

※ただし、著者が肯定している中には首を捻るものもある。(若島)

 

妖怪と精霊の事典

タイトルは「妖怪と精霊」となっているが、実際の内容は心霊現象全般を扱った事典である。この本の良いところは、懐疑的な情報も載せているところ。

類似の事典の中では懐疑的な情報を載せず、事典として役に立たないものも多い中で、こういった比較的バランスのとれた本書は貴重な存在といえる。

また本書は、全部で400近くある項目に書かれている情報がどれも非常に濃い。

さらに各項目の最後には参考文献が明示されており、その項目は何を参考にして書かれたか読者にわかるようになっている。(これがまた非常に便利)

また各項目名は日本語と英語が併記されており、巻末の付録には「英和対訳項目一覧」がアルファベット順で並んでいるのだ。これはスペルがわからないときなどに役に立つ。値段は5000円近くして高いが、それだけの価値は十分にある良書である。

心霊現象について、さらに深く知りたい、調べてみたいと思っている人にはおすすめできる。(本城)

 

人類はなぜUFOと遭遇するのか

本書は、出版から何年も経たないうちに、UFO史という分野における最重要古典の地位にまで登りつめた傑作である。

1947年のケネス・アーノルド事件以来、ETHを代表とするミーハーなUFOネタは良くも悪くもアメリカ中心だったわけで、そのアメリカUFO史の最高峰とくればUFO史の最高峰なのである。(もちろんアメリカに偏り過ぎという批判もあるし、確かにその通りなのだが、その事実は本書の価値を損なうものではない)

本書の立場は完全に懐疑論者のそれであり、徹底的に一時文献にあたりながら、1947年からのUFO史を客観的に構築していくといった、気の遠くなるような作業によって完成されたUFO本である。

それでいて、歴史を淡々と綴るだけの単調な仕上がりではなく、50年にわたり人々を魅了して止まなかった、UFOという神話の裏側を覗き込む面白さも十分に発揮している。(若島)

 

米下院UFOシンポジウム

1968年に米下院科学および宇宙航行学委員会が主催した、一流の科学者6名を含むUFO問題の公聴会の議事録と、同時代の科学者によるUFO論文を収録した一冊。

当時は、UFOに対して真面目な科学的研究の価値を期待できたUFO黄金時代といえよう。その時代にあって、当時の有能な科学者によるUFO問題への見解が判るのであるから、まさにUFO史の貴重な資料である。

発表した面子もかなりのものだ。いずれもその道では名を成している科学者達ばかり。この公聴会の議事録もいろいろ面白く、カール・セーガン以外はETHに前向きな関心を抱いているのも興味深い。

続いて収録されている論文は、この公聴会の出席者に配布されたもので、これまた貴重な資料である。どれもこれも一読の価値があるが、とりわけ内容が濃く面白いものを挙げると・・・

ジェームズ・E・マクドナルド博士の『未確認飛行物体に関する公聴会用論文』は、かなり気合の入ったFAQと評価できる。

また、この公聴会関連で唯一のガチ否定論者ドナルド・H.メンゼル博士が提出した『公聴会用論文:UFO-事実か空想か?』は、私個人にとって、ダメな否定論者の筆頭だったメンゼルを、実はそれなりに有能であったと再評価させる決め手となった良質の文献であり、もっと大勢の人に読んでもらいたい一品だ。

「科学者はUFOを真面目に研究してこなかった」などと意味の判らない苦情を吐く者がいたら、速やかに「これだけ気合入れてましたが何か?」と返事してあげるために使うもよし、純粋に当時のUFO史の貴重な資料として使うも良し、読み物として楽しむも良しで、かなりお得な文献である。(若島)

 

全米UFO論争史

本書は歴史学者であるジェイコブス博士が書いたUFOに関する歴史書である。原書は1975年の出版と言うことで、最近の状況については「日本語版あとがき」で簡単に触れているだけであるが、1975年までのUFO問題について詳しく知る事ができる。

ジェイコブス博士といえば、アブダクション(宇宙人による誘拐)の研究家で、どちらかといえば過激なETH(UFOは宇宙人の乗り物だとする説)の信奉者であるという印象をもっていた。しかし、本書のために書かれた日本語版あとがきも含めて、本書における博士の文章は非常に慎重で穏健なETH信奉者という印象である。

ETH信奉者ならば、どちらかといえば避けたい話題ではないかと思われる、謎の飛行船事件(1896年~1897年)にも触れている。この事件はUFOの歴史・文化を分析する上では避けられない話題ではないだろうか。出会う相手がグレイの小人ではなく発明家だというだけで、まさにそこで語られるのは第三種接近遭遇そのものなのだ。

プロジェクト・ブルーブックの調査に関しては、ETH信奉者が書いたUFO本では定番の陰謀論を持ち出すような愚鈍なことはしない。そのようなところにも事実に対するこだわりが見られる。

ただ、7章あたりからだんだん懐疑論者(スケプティック)への攻撃が強くなっているのは気になる。エドワード・コンドンなどの感情的な発言を抽出し「スケプティックは感情的にUFOを否定しているだけ」「我々は冷静で注意深くUFO問題を調査している」という雰囲気を出している。もちろん、スケプティック本では逆のことが行われていることもあるため、一方的におかしいと言うのも偏向だろうが。

懐疑的でないUFO本の中では、最上級のレベルで、事実に基づき、無根拠な憶測も少ない本ではないだろうか。UFO論争史を冷静な信奉者からの視点で見た良書と言える。日本のETH信奉者にもこのぐらいがんばってもらいたい。(蒲田)

 

未確認飛行物体の科学的研究 第1巻』

本書は通称「コンドン報告」と呼ばれるもので、コロラド大学における未確認飛行物体に関する真に科学的な研究のレポートである。このレポートがUFO研究の歴史に与えたインパクトは大きい。この研究を根拠に20年以上続いた空軍の公式UFO研究が終了したというだけでも、その影響の大きさは理解できるであろう。

第1巻は、この研究の総括といった内容になっている。研究から得られた結論は、UFOは軍事的脅威ではなく、これ以上研究を続けても科学の進歩に貢献することはないだろうといったものである。1文にまとめてしまうとなんともつまらない結論である。この結論はUFO批判者からすれば当然であり、UFO信奉者からすれば到底受け入れられないものだと言えるのだから、尚更だ。

こういった結論から、空軍の公式報告のような無味乾燥とした取り付く島も無い報告を想像された方も多いかもしれない。しかし、そういうわけではない。コンドン博士は「第1部結論と勧告」にて、非常に丁寧に(むしろくどいくらいに)「真に科学的な結論」とはどういう意味を持つものなのかという事を説明している。

これは明らかに、科学に疎い一般人やUFO信奉者に向けたメッセージである。UFOに興味が無くとも科学的な結論とは何か?に興味を持つ人には是非読んでもらいたい文章である。そして、単なるUFOの否定的研究というもったいない読み方をしないためにも、このコンドン博士の言葉を常に強く意識して読むべきだろう。

研究の内容は、他に類を見ない専門的な検討を行っているため、本書でしか得られない情報が詰まっている。しかし、UFO目撃報告の謎解きについては、そんなに痛快ではないし、不明のままで終わっているものも多い。この点がディープなUFO信奉者から突っ込まれる原因となっているようである。

だが、この書評を読んでいる読者は、コンドン博士の言葉を思い出し、これが「真に科学的な研究」であることを意識すれば、問題ではないことがわかるだろう。

逆にコンドン博士の言葉を意識していれば、コンドン委員会の報告を批判している人が、本当にこの報告をきちんと読んたのか、疑問に思えるようになるのではないだろうか。(蒲田)

※続編として『未確認飛行物体の科学的研究 第3巻』もある。

 

未確認飛行物体に関する報告

本書は米空軍公式のUFO調査機関「プロジェクト・ブルーブック」初代機関長であるルッペルトが、退役後の1956年に発行したものである。アメリカの公式なUFO調査プロジェクトを率いたからこそ書けるプロジェクトの内情、そして政府の混乱が赤裸々に語られている。

懐疑的な視点からUFO問題の歴史を綴った重要文献、カーティス・ピープルズの『人類はなぜUFOと遭遇するのか』においても、1950 年付近の記述はほとんどがこの本を一時情報としている。また、穏健なビリーバー視点で書かれたUFO史、デビッド・ジェイコブス『全米UFO論争史』においても同様である。

UFO史を追う者にとって特に重要な文献である事は、上記のふたつの例だけでも十分感じ取れることと思う。

内容は政府文書がどんどん出てくるレポートのような淡々とした硬いものではない。明らかに大衆向けに書かれたもので、ルッペルト視点でのUFOドラマといった印象を受ける場面がいくつもある。

私はなによりも、この書籍がETHを支持するような雰囲気を醸し出しているのに驚いた。しかし、胡散臭い信奉者の書籍とは違い「ブルーブックのルッペルトが書いた」ということで、圧倒的な説得力を持っている。1956年当時にはかなりの数のETH信奉者を新たに生み出しさえしてしまった、罪深い本なのではないだろうか。

原書が読める人ならば、日本語訳であるこの本はスルーしているかもしれないが、私は是非手に入れて欲しいと思っている。なぜならば、この本の末尾に収録されている「解説」が非常に秀逸なものだからである。解説では、後年だからこそ分かるルッペルトの嘘を指摘し、この書籍がETHに傾いている理由の謎解きを試みているのである。

ひとつ残念なのは、原書第一版の訳であって、いくつか追記のあった改定版の訳ではないことである※。

※但し、改定版では追記によってETH色が薄れているという話もある。(蒲田)

 

実録・アメリカ超能力部隊

とにかく読み物としての面白さもかなり高く、1日で読み切ってしまった。軽妙でいて薄っぺらではなく、絶妙のバランス感覚が素晴らしい。

本書を読むとき、あなたが超能力信奉者ならば恐怖を感じ、否定派ならば困惑し、知識ある懐疑論者ならば腹を抱えて大笑いし、やがて事態の深刻さを憂うであろう。

スターゲイト計画をはじめ、軍が超能力研究に力を入れてきた流れを、当時の人物達へのインタビューから綴る内容は、貴重な情報を提供してくれる。時期も、ヒッピー以降から2004年までが主眼であり、軍部が中心だが、その周りにはユリゲラー、SRV、コートニー・ブラウンやヘブンズゲート事件、 9・11などが配置されている。(しかも安直な陰謀論本やビリーバー本ではない!)

軍が超能力系のテクノロジーに期待を寄せる背景に、ベトナム戦争のトラウマがあり、軍部もまた大衆側のニューエイジ運動に感化された人材が大勢いたようである。平和的な非殺傷兵器の導入を目指して提案された平和的な提案。。。結果としてグロテスクな方向へゆがめられていくが。

いずれにしても、この分野に興味と、ちょっとした知識がある―たとえばをSRV信奉している人は無知とする―ならば、読む価値があるだろう。やや賛同しかねる記述もあるが面白い。(若島)

 

量子の宇宙でからみあう心たち―超能力研究最前線

日本語文献で実験超心理学の近況を伝えるものとしては、頭2つほど飛び抜けている存在。

原著者ラディン博士の論調や説明は、正直なところ暴走の観を呈しており、好意的に読んでも紹介している実験と主張には開きがあったり、やりすぎなところもある。

賢明にも「微小なPSIが実証されても、その他のあらゆる超能力がなんでもありになるわけではない」という冷静な判断で注意を促しているが、別の章では、勇み足してしまうところが惜しまれる。

そういった勇足のおかげで売れ行きが良くなったのかもしれないが、しかし、その代償は、軽率なビリーバーのハッスルと、超能力や心脳問題に対し、量子力学を短絡的に結びつけたがる風潮にイライラしている物理学者の反感を買うことでもある。

ただし、超心理学批判の歴史が、改善された旧来の話や、不誠実な否定論が、なぜか無批判に流通しており、科学的公平性のルールが破られ続けている状況を考慮する必要はあるかもしれない。

ともかく、そういった要素もあるが、本書において注目すべきは、日本で紹介されることが滅多にない、近年の超心理学と近接する領域の実験が豊富に紹介されていることである。

とくに2003年以降の情報となると、日本語で読めるソースが極端に減るため、超心理学が洗練されていく過程を公平に評価しようとしてきた者にとって、非常に価値のある情報である。(ちなみに、私にとって、最も興味深い実験は、かつてSPRによってなされた視線感知実験の、事実上の追試が上手くいった件である。)

注意したいのは、ラディン博士が紹介している実験によって実証される現象は、驚くほど小さい効果であり、統計学でいうp値が大きくても、「偶然じゃない度」の指標であって、現象の効果の大きさとは別の数字であるということが一つ。そして、一般的に超能力と呼ばれる現象とはかなり異なり、「科学的な意味でのアノマリー(異常)現象」「候補」という代物ではあるが、「人間の精神に由来する超能力」とは接点が薄いことである。

しかし、少なくとも私は、そのくらいに問題を小さく(?)評価しても、それが退屈なものだとは思わないし、好奇心をそそられる。

私が素朴に感じることは、昨今の洗練された超心理学の示す現象が存在しても、物理学がどう影響をうけるかは、定量的な説明ができる理論が出るまで、判断できないのではないかということである。

もしかしたら、古典物理学の範囲ですら、大数の法則に干渉するかのように振舞う状況を誘発する、極めて複雑な状況が、たまたま何かの条件(たとえば地球環境に由来したり)で、整っていただけだった、というような具合で、かつ現実と矛盾しない仮説があるかもしれないし、もしかしたら、いよいよ量子重力理論の発展によって脳と意識と外界を説明する本当に新しい理論によって理解される現象の側面なのかもしれないし、まさに後の科学史にどう記録されるのかわからない、真なるグレー案件だと認識しておきたい。

そう、単に誰も発見していないだけの潜在的な仮説は、退屈なものから、劇的なものまで、ほぼ無限にあってもおかしくないため、超心理学否定論を正義と考えている科学者がいうような「物理学と強く矛盾する」必要はまったくない。そして、それは同時に、凄い革命が必要だという保証もないことを意味するだろう。

この領域を批判する者は、謙虚に読んで欲しい。逆に、信奉者側は、エディントン卿の半分ジョークで半分真面目な金言

「いかなる実験結果も、理論によって説明されるまで信頼すべきではない」

が、ジョークではなく、本当に警句として適用できる状況なのかもしれないということを理解して読んで欲しい本である。

また、後半のFAQも面白いのでおすすめ。(若島)

 

超常現象の謎に挑む

とにかく執筆陣が素晴らしい!の一言。『政府ファイルUFO全事件』の著者にして『フォーティアン・タイムズ』のUFO担当ピーター・ブルックスミス。

UFOと宇宙人 全ドキュメント』の監修及び寄稿者であり、暴露専門ではないながらも懐疑主義者並に厳しいUFO研究者ヒラリー・エバンズ。

写真解析などで有名なGSWのスポールディング。

そして、ビリーバーからは懐疑主義者と罵られ、懐疑主義者からはビリーバーと罵られながらも、その実力は誰もが認めるイギリスUFO研究界の大御所ジェニー・ランドルズ。

と、ま~よくぞといった豪華執筆陣である。

そういったわけで読み応え抜群なのであるが、なかでも筆者がお勧めするのはヒラリー・エバンズが寄稿しているうち3本。まず「ウェールズ三角地帯の真相」と、フランスで起きたUFOによる拉致事件セルジー・ポントワーズ事件「真実か、ペテンか、幻想か?」の真相追究ネタ。これはもう、UFO研究家というより優れたデバンカーの仕事と見做したくなるほど素晴らしい。そして、その面白さは本書でもトップクラスの「黒服の男」は、MIBを取り扱った面白い記事である。

あとコラム「賢者の金言」が最高。涙出るくらい笑った。

以上のように、とにかく濃くて面白い文章がたっぷりなのである。

UFO以外では、心霊系のネタなんかも、デバンキングが多かったり、驚くほど公平な視点から編纂されていて、隠れた懐疑論の名著としても評価が可能である。星6~7はあげたい。(若島)

 

事典 古代の発明―文化・生活・技術

あの『古代文明の謎はどこまで解けたか』の著者ピーター ジェームズ, ニック ソープの出世作、待望の邦訳。

宇宙考古学系の安直なビリーバー論は、当然ながら却下するし、異端的な仮説は救える限り救おうとする。あまり知られていない正当派考古学の情報もたんまりである。本当に面白くてわくわくさせられる。有名なところでは神殿の自動ドア、聖水の自動販売機、インドの整形外科技術、馬車の走行距離メーター、、、とにかく面白い。

ただ『古代文明の謎はどこまで解けたか』よりも、さらに異端仮説に肩入れしているきらいはあり、全てを鵜呑みにしてしまうのはよろしくない。とくに、批判の多い実験考古学の知見に基づく仮説に、通常よりも寛大な傾向があるのも事実であり、その辺りは心して読もう。テクノロジー以外にも、文化風俗などなどなど、いろいろな知見を紹介しており、当時の世界がどういった風景で、どんな人達が、どんな生活をしていたかなどを想像することができる。

そこには、宇宙考古学のオーパーツ系ヨタ本では味わえない種類の、真のロマンがある。(若島)

 

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このページでは主に「疑似科学」(※)を批判的に扱っている本を紹介する。

※ 疑似科学とは、もっともらしく科学を装っているが実は科学ではないもの。よりわかりやすくいえば、「ニセ科学」のこと。

 

わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか

懐疑論者向けの啓蒙書の一つ。

マイケル・シャーマーとカール・セーガンの穏やかな懐疑主義よりは押しが強い感じで、好き嫌いはあるかもしれない。全くその通り!と頷けない箇所もある。

が、間違いなく有用で面白い本である。

タイトルがショボイが、科学に・・・ではなく、疑似科学に・・・が正しい文脈である。とくにNASAがしょうもない研究に膨大な資金を費やしていた話など、見所は多い。

懐疑論者であるならばおすすめできるだろう。だが、タイトルは絶対に変えた方がよい。(若島)

 

奇妙な論理

Skeptic Society」会長のシャーマーをして、「現代懐疑論の始まり」と評価させる科学的懐疑論の体系化をもたらした歴史的名著。

今では執筆から60年が経った。もちろん話題そのものは古いが、こと疑似科学の研究としては色あせることのない超一級の名著であり古典である。「相対論は間違えている」の人々についての解説などは、全く以って現代も有効で、ガードナーの分析能力がいかに本質をついているか(あるいは疑似科学者連中に進歩がないのかもしれないが)を、強力に示している。

さらに特筆すべきはガードナーのユーモアセンス。「55分もあれば十分だ」などは、歴史に残る名突っ込みといえよう。

本当に面白い。抱腹絶倒一回は三段論法千回に優るとはまさにこのことで、ドライな懐疑論の原型となっている。(若島)

 

疑似科学と科学の哲学

疑似科学と科学の線引き問題から、科学哲学を学ぶ本。科学への理解を深めるためにも役立つ。 正直なところ、科学哲学についてちょっとした知識があるか強い興味があること、又は、そこら辺について自分なりに考えたことがある人じゃないと、読むのは辛いかもしれない。

しかし、「科学的ってどういうこと?」ということについて、体系的に理解するにはとてもいい本だと思う。疑似科学と科学には厳密な線引きができないということを知らずに「それは科学ではない」などと言わないように注意。

逆に、疑似科学(やニセ科学)を擁護するために科学哲学を持ち出す人も、科学哲学は科学に厳しく、疑似科学には“もっとずっと”厳しいということを理解する必要がある。(蒲田)

 

きわどい科学―ウソとマコトの境域を探る

科学と疑似科学の境界領域に興味を持つ人々へ、基礎知識を提供する素晴らしい入門書。

科学の地位を下げたがる種類の科学社会学や科学哲学が提出する、奇妙な科学観は拒絶し、かといって、非現実的な、あまりに理想化された科学観を前提としてしまうこともなく、バランス感覚が優れている。

たとえば、科学者が、科学と疑似科学の判定をする場合は、基本的に直観によっているということを説明しており、そして、それだけではなく、その有用性を示すために、核物理学の発展をモデルに検討したアラン・フランクリンの研究を紹介するなど、安直な観念論とは一線を画している。

反証可能性による線引きも、条件付きであるとしており、無批判に採用することの不備も考慮している。

よくよく考えると、少なくとも疑似科学批判や懐疑主義にとっては、潜在的に存在する科学的な命題や仮説のほぼ全てに適用できるような、一般的な線引き規則、疑似科学判定装置は、あれば便利かもしれないが、ないならば、無理して捻り出す必要もないし、それでも困らない。

少なくとも我々が「水からの伝言」「創造科学」を疑似科学として認識するとき、なんらかの規則に従って「よし、これは疑似科学だ」と判定しているのではなく、むしろ、そこを歩いている動物が、犬か猫か区別できるのと同じように、科学と疑似科学を区別しているといった方が現実に沿う。

そういうわけで、犬と猫の線引き問題に興味がある場合や、ましてや一般論を展開するためには、犬っぽい猫や、猫っぽい犬の実例を知ることが重要であろう。少なくとも「仔犬も仔猫も可愛いのは一緒です」といった、ピントのずれた観念論で思考停止してしまわないためにも、具体的な知識は必要である。

以上の観点から、科学と疑似科学の境界領域の実例を知ることは重要であり、とりわけ、N線や常温核融合、ヴェリコフスキーやルイセンコといった代表的なものは、懐疑論者の基礎教養でもある。

本書は、基本的に疑似科学批判の文脈を足場にしながら、境界領域の科学(fringe science,周辺科学)に関連する代表的な実例と、その周辺で起きた出来事を解説している。そのうえで「病的科学」「疑似科学」といった、この領域を論ずるうえでの必要な概念も説明してくれるのだ。また、異端的であることと、疑似科学であることは等しくないということを、きちんと説明していることも素晴らしい。

ともあれ、科学と疑似科学に興味があるものは、通訳不可能性だのモップでお掃除だのクワインだのを知らなくてもいいが『きわどい科学』は読んでおけ、という評価になるのである。興味の持ち方が狭めなので、読者を選ぶ点はあるかもしれないが、疑似科学批判、懐疑主義に関心