今回から暫定的にASIOSブログの執筆者として、仲間入りさせていただくことになりました藤野です。

もともと歴史系なので、古本ネタが多くなるかもしれませんが、まあ広い目で読んでいただけると幸いです。

記念すべき初回になにを書こうかなと思ったのですが、この会への仲間入りしたきっかけが“ムー大陸”なので、ムー大陸の話題をひとつ。

去年亡くなった志水一夫氏との最後の仕事が、2007年6月刊行の某青年誌に氏のコメントを貰うというものでした。3、40代の人が小さいころに読んだ懐かしの世界の7不思議はその後どうなったのか、というようなテーマで(たぶん)、バミューダ・トライアングルなどを取り上げたなかに失われた大陸を紹介しました。

当然、チャーチワードのムー大陸が登場するわけですが、“The Lost Continent of Mu”を1926年刊行と表記しました。急の依頼仕事にも関わらず、企画の趣旨を御理解いただき、志水氏からは快くコメントしていただけました。その際ゲラを送ると、自分の手許にある“The Lost Continent of Mu”まで調べていただき、所蔵本は1931年刊だが、とFaxで御指摘を受けました。※1

日本では、周知のように1926年・1931年が混用され現在に至っています。なかでも1931年説が優勢のようで、定説の観があります。わたしも以前は1931年説を採っていました。しかし、海外のオークションにおいて、出品物の説明に1926年版でカバー付は珍しいとあったので、あるときから1926年初刊説を採るようになりました。

志水氏から指摘を受ける前には、南山宏氏にもお尋ねしてみました。氏がサラ・ブックス『海底のオーパーツ』(二見書房、1997年)で、「イギリス出身のアメリカ人ジェームズ・チャーチワード大佐は、生涯の大半を費やしたという長年の研究の成果を、1926年から34年にかけて、『失われたムー大陸』ほか全5巻のシリーズで発表した(邦訳版で初刊が1931年刊とあるのは誤り)。」(196頁)と書かれていたからです。こうした書き方は稀で、南山氏は刊年を調査されて書かれただろうことが推察されたからです。

書かれて10年も経過していることと突然の電話でしたので、根拠までは思い出してはいただけませんでしたが、調べて書いたはずということでした。たぶん、自覚的に1926年説を採ったのはこの本が初めてだろう、とも仰っていました。

日本では書誌は(とくにオカルト分野では)さほど重視されませんが、さすがに南山氏だと感銘を受けました。当該書は邦訳版『失われたムー大陸』の問題点やチャーチワードに先行する太平洋の失われた大陸説にも関説されており、“ムー大陸”研究史を書くとしたら特記される仕事だと思います(その他『海底のオーパーツ』の成立経緯についてもいろいろ教えていただきました)。

以上のようなことを電話で志水氏とお話して、1926年説のまま原稿は活字になりました。

その後も気になっていたのですが、チャーチワードの顧問弁護士であったパーシーテート・グリフィスの『わたしの友人チャーチーと彼の沈んだ島ムー』──1937年に書かれたという現在までのところ唯一のチャーワードに関するバイオグラフィー──にも、「by the publication of The Lost Continent of Mu, in 1926.」(1926年の『失われた大陸ムー』の出版によって)とあり、1926年版の存在は確実と思えてきました。

ジェームズの曾孫ジャック・E・チャーチワード氏による「ジェームズ・チャーチワード年表─ジェームズに関する年代順の議論」(“James Churchward Timeline – a chronological discussion of James”2005年)も1926年説を採っているのも補強材料です。

しかし、志水氏蔵本が1931年刊行というのも確実であり、初版はどうやら1926年で、なんらかの事情で1926年版に触れずに初版として刊行された1931年版が存在するというのが、現在までの結論です。

日本では1931年版が入ってきたため、仲木貞一・小泉源太郎氏らはこの版によって訳出されることになり、1931年初刊説が流布するようになったのでは、と愚考する次第です。

※1 志水氏によると、所蔵本は「一九四五年発行の第十三刷、米陸軍の旧蔵本で、小倉キャンプ図書館の蔵書印があるもの」(「疑惑の人ジェームズ=チャーチワードとムー大陸伝説・伝」)とあり、現在の福岡県北九州市・自衛隊小倉駐屯地に朝鮮戦争時に所在した在日米軍小倉キャンプにあった図書館からの流出本(廃棄本?)らしい。