『江原啓之 本音発言』(1)

本城です。

最近、『江原啓之 本音発言』(講談社)を読了しました。内容は「『あの世』や『霊』の存在に対して懐疑的な、40代の男性記者との対談」を収録したものです。江原さんによれば、「これまで私が受けてきたバッシングに対して、初めてきちんと答えている」とのこと。

対談の相手は、冒頭に書いてある「本書で江原啓之と対決する男性記者のプロフィール」(匿名)によれば、

40代後半。同世代の妻と高校生の息子、中学生の娘を持つ。長らく週刊誌の記者・編集者を務めてきた。基本的に「あの世」や「霊」の存在は一切、信じていない。したがって、江原啓之についても「いんちき臭い人物」と認識している。それなのに妻や周囲のOLが「江原さんはホンモノよ」と断言し、書籍を買い込みテレビ番組に見入ることに言いようのない不快感を覚えている。対談に臨むにあたり、「スピリチュアルなものを信じないオッサンの代表」として、江原啓之の化けの皮を剥がしてやろうという意気込みを抱いている。

という設定になっています。ぶっちゃけ、この対談相手が実在するかといえば、かなり怪しいです。そもそも「対決」とありますが、全然対決になってません。基本的に巷でいわれていることを質問するただの質問者で、反論めいたことはたまにする程度。

本当に懐疑的なら、普通はそんな説明で納得しないだろうと思うようなところで、あっさり「そうですね」と納得しすぎでした。「化けの皮を剥ぐ」どころか、予定調和、単なる引き立て役です。

そんなわけで、この実在するかどうかわからない記者さんは全然役に立たなかったので、かわりに私が本書を読んで指摘したかったことをいくつかに絞って書いてみたいと思います。今回はそのひとつ。

●前世や守護霊の属性が偏っているという指摘に対して(P.88)

質問者:(前略)「前世や守護霊はどうして中世の賢者や貴族ばかりなのか」という疑問。これについては同様に思っている人は結構多いのではないかと。

江原:時代については、現世を生きる人につく守護霊はだいたい二百年とか三百年前に生きた人の霊なんです。番組で指摘した守護霊は賢者貴族より武士や武家の女性が多いと思うのですが、理由は単純で、江戸時代に武士が多かったからです。武士というのはいまでいうサラリーマンですよ。数が多いのは当たり前です。(後略)

いやいや、当たり前じゃないですよね。江戸時代の武士の割合というのは、だいたい5%~7%といわれています。(農民は70%以上)

江原さんの言うように、当時、数が多かったものが前世や守護霊の属性となるのであれば、それは武士ではなく農民となるはずでしょう。つまり江原さんが言っていることは全然、回答になってないわけです。

また本書では「守護霊はだいたい二百年とか三百年前に生きた人の霊」だと書いてあります。ところが、『スピリチュアルな人生に目覚めるために』(新潮文庫)という著書では、「四百年前から七百年前に他界した先祖の霊魂」(P.118)だと書いてあります。

普通に読めば矛盾したことを言っています。ただ、『スピリチュアルな人生~』によれば、守護霊には大きく分けて四つあって、前述の霊はその中心となる「主護霊」の説明です。残り三つのうち、「補助霊」は比較的新しい霊がつくそうですから、矛盾なく説明しようとすれば時期が説明されていない残り二つのうちのどれか、ということもありえます。

そこで、もし私が江原さんと対談する立場だったら、まず四つの守護霊のうちのどれを指しているのかを聞いてから、年代の話を出すと思います。そして回答が「主護霊」であれば、そこで矛盾を指摘したいところ。できれば『江原啓之 本音発言』でも、これくらいのことは考えながら対談をしてほしかったのですが……残念ながら無理だったようです。

『江原啓之 本音発言』(1)”へ2件のコメント

  1. ドーキンジスト より:

    この本は読んでいませんが、本城さんの解説から思うに、自称40代の男性記者は温い追求で終始しているようですね。出版社が講談社なので、江原啓之を否定するような方向に行かないだろうとは容易に予想がつきますが。
    進化生物学者のリチャード・ドーキンスは著書の『虹の解体』でこう述べています。
    もしも厳密な条件の下でテレシー(あるいは予知でも念力でも生まれ変わりでも永久運動でも何でもいいが)を行える超能力者がいれば、その人は自然科学には知られていないまったく新しい原理の発見者ということになる。
    テレパシーによって人の精神を互いにつなげるという新しいエネルギーの発見者、あるいはテーブルの周りにトリックを仕掛けることなく、手を触れずに物体を動かすという新しい基本的な力の発見者だ。これはノーベル賞ものである。実際、受賞することだろう。
    もしあなたがこの革命的な科学の秘密を手中にしているとしたら、なぜいかがわしい娯楽番組などにそれを費やしてしまうのだろう?なぜそれをきちんと証明し、新たなニュートンと呼ばれて歓迎されるほうを選ばないのか?もちろん、本当の答えはわかっている。できないのだ。いんちきなのだから。だまされやすい、あるいは人をばかにしたプロデューサーのおかげで、いんちきにしては儲かるけれど。

  2. 本城 より:

    江原さんは、わかりやすく客観的にきちんと証明することに対しては、かなり消極的ですね。
    どうも藁人形論法が目立つというか、極端な否定派を想定して検証を拒否する姿勢には大いに疑問を感じます。

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